五十路邁進日記

お酒、ジム、映画、読書、野球、韓ドラが好きで、リフォームや更年期などなど五十路話

心のカーテンが引かれた瞬間

私は情けに厚い方だと思う
それゆえ
所属した集団には必ず
いまだにサシ飲みする友がいる
ことは何度かこのブログにも書いた



一方向の関係ではなく
共有したい
聞いてもらいたい
聞きたい
と思うからこそ続く関係


時には耳の痛いことも
ハッとさせられることも言われたり言ったり
何かあれば
すぐにでも駆けつけるか
リアクションする


そんな友と出会う一方
かなり考えさせられ
自己否定に至るまでになった出会いもあった
親身に心配した私がかけた言葉に
「後ろめたさを感じたことがないあなたには、私の気持ちはわからない」と拒絶されたことも


やっと雪がとけ、花が咲き始めたころ転勤できた友が鬱鬱としていた時、桜でも見て散歩したら?とかけた言葉に
「そんな花なんて見る余裕はない。それよりも、いまは、、、が必要なの。
まったくあなたは気楽なこと言って、なにもわかっていない」
と返されたことも。


〈アーティゾン美術館にて〉


浅はかなこと言ってしまったと後悔し

けれど

一期一会を結構重んじる私は

その後も根気強く、関わってみたけど全力拒否
そうなるともう、いいや、と
それまでの心配モードがスーッと引いて、当たり障りのない関係になる。
でも、いまだにそういう人たちに限って、年賀状は律儀に来たりするから不思議。


そんな私の心のカーテン、シャッター、壁の構築の最たる相手は実の親だ


心配でかれこれ10年くらい前からいろいろ言ってきた
贈ってきた

全く聞く耳持たず
ダメだしされ返品され
逆ギレされ、口出すな、の応酬
嫌な思いをしても
誕生日やお正月など節目にはせっかくだからと気を取り直しまた挑むことを繰り返してきた


しかし
ある時、あまりの相手のひどい言葉で
ぷつりと
私の心配、情けは消え去り
その後怒りを経由し
一気に無関心に。
いまは会えば、お天気レベルの会話はするけどそのラインを遵守
それが平和の秘訣


そして今回も
心配して常に気にかけてきた相手
働きかけは迷惑だと。
声かけ、言葉は言ってほしくない嫌なことだと。


当たり障りのないことならば
いま
チャットGPTにでも
アレクサにでも話せばいい

を必要としてるからこそ
愛、情けをこめて
関わったが
全く通じてなかった


そういうのが押し付けがましく、説教くさくなる年齢なのかも。50代。
あーもういいやー

所詮、他人 他人のことなんて分からなくて当たり前だ


久々に
スーッと
心のカーテンがおりてきた瞬間を感じた



あー
もーやめよう
50代、居心地の良い人
必要としてくれる人とのみ付き合えばいいのだ
こんなに感情も体調も振り回されることなど関わらなければいいのだ


年賀状じまいするように
人間関係もクローゼット並みに断捨離するお年頃なのかな。


新年早々
あのおみくじが頭をよぎる