次の機会に、また今度、の危うさ
これまではよく
また、次がんばれば、また、今度とか
次回は、、なんて、結びの言葉で使ってましたが
コロナ禍で、気安く口にはできなくなりました
最近の一番の延期は五輪だったわけですが
ちょっと気が重い集まりとか、乗り気でなかったことを、また今度、と延ばしてしまったら2年間ブランクからの、白紙に、なんてザラで。
2年前私は、とあるアマチュアスポーツの大会に出たいと思っていましたが、もう少し練習積んで、また次の機会に、なんて考えて延ばしていたら、開催されなかったり、人数を思いきり減らして抽選になり敷居がたかくなってしまったり。
行きたかったお店も、荷物多くて疲れてるからまた今度、なんて思ってたら閉店していたり。
つまり先延ばしはよくない、
思い立ったら吉日!!精神でいかないと。
50代の2年間もなかなか歯がゆい、もどかしいことだらけなのに、
大学生をはじめ若者には本当にきつい2年間。
自分からベクトル向けて、行動起こして新しいことするのもそろそろ限界だと、大学生の子を持つ友から聞きます。
意識的に、目的を決めて関わることは、自分次第でどうにかできる。
でも、思いがけない自然、偶然の出会い、興味や関心をもつきっかけなど、どこに新たな可能性、将来への道があるかわからない時期に行動を制限されることの窮屈さがあると。
こうやって、目的以外のことはしなくなり、目に入らなくなり、人生の余白が減っていくんだなぁ。
体力、気力ある50代、今できることは、どんどん片付け、挑戦していかねば、そして少しでも関心持ったら、その芽を伸ばしていこうと改めて思いました。
芽つながりで
本日の我が家のアボガド