毒親、ヤングケアラー系〜『52ヘルツのくじらたち』読了 「存在のない子供たち」鑑賞
たまたまこの2作品をほぼ同時に読み終わり、鑑賞しました。
どちらも
親を選べない子供の話です。
本は、2021年本屋大賞。義父の介護をすべて任され、家族の犠牲になることを強いられていた主人公が、逃げてやり直そうとした街で、母に虐待され、孤独で、声を発せない子と出会い、周りの人の温かさに触れ、再生を目指していく話。
ネットフリックスで見た映画は2019年の作品。貧困のために親が出生届を出さず法的に社会に存在すらしていないことになっている12歳の主人公が、裁判で「自分を産んだこと」の罪で両親を訴える話です。実際、主人公の子役は、シリアの難民で映画の後ギリシャに移住したとのこと、ほかにも不法滞在で撮影中拘留されてしまった人等をキャスティングしており、ほぼドキュメンタリーといってもよい内容です。
印象深いのは
本では
「人は最初は貰う側にいても、いずれは与える側にならなければいけない」
というセリフでした。
映画では、生年月日もわからない子供に対して他人が
「ケチャップにも製造年月日はかいてある」というセリフ。
最近このような、毒親、ヤングケアラーの題材の本、映画は多いです。
実際、ここ最近のニュースでも、
世話を任せていた兄が妹を殺してしまった事件
妻は自分の子を実家に預けすぐに再婚して痛ましい事件を起こした夫婦、
衣装ケースに出産した子を放置したままにしていた事件。
コロナ禍で、皆がこもって、自衛するのに精一杯で、他との接触が減っている中、周囲に目を配る心の余裕を失いがちになっているのは事実であり、もっと深刻な事態が今後ふえているかも。
コロナの終息も待ち焦がれますが、その後のことを考えると新たな問題があちらこちらから生まれてきそうでこわいです。